
Artist's commentary
みみみ
きょうのワールドニュース視聴中 in YU☆ME☆DO☆NO、な感じ?
太子の腋衣裳にはびっくりですよ。隋の使いとかどんな感想を抱いたんでしょう。
*この特異な腋衣裳がその後どうなったかをちょっと考えてみた
『旧唐書』倭国日本伝より:
貞観五年(631)、(倭が)使いを遣わして地方の産物をたてまつった。
太宗はその道の遠いのをあわれみ、所司に勅して毎年の貢進をやめさせた。
また新州刺史の高表仁を遣わし、節を持って行かせ、これを按撫させた。
表仁は綏遠(遠国を綏撫すること)の才がなく、王子と礼を争い、朝命をのべずに還った。
*唐の使いと倭の王子が「礼」について争い、それは唐の使いが朝命をのべずに還るほどの重大な事だった
*この時の「王子」は太子の御子息だった可能性 そして腋衣裳だった可能性
*この一件は国史には記されていないので、朝廷でも大きな問題になったと思われる
*腋が
*屠自古は袖つきなので、海外交流を重視していた蘇我氏は排腋派だったか
*太子の御子息一族が蘇我氏に滅ぼされたのもその問題が一因か
*ここで腋衣裳は幻想入りしたか
*しかしその余りの横暴さに「蹴鞠とかする時には腋衣裳の方が動きやすいのです」とかいう一派がクーデター
*そして復活 という可能性
*でもその後百済再興軍が唐軍に敗北したことで政府は「やはり唐風にせむとす」と方針転換
*ここで幻想入りしたか
*しかし「大陸かぶれ自重しろ」とまた乱がおこった
*ここでまた復活した可能性も
*でも時の皇太子は病弱であらせられたので、その場合は皇太子の健康のために廃されただろう
*というわけで7世紀末までは存在した可能性がある
*なので8世紀あたりから幻想郷の巫女は確実に腋巫女であったと思われる
*QED
*すみません
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